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残されたエビデンス

残された日記や手記などの文脈や行間に思いを馳せる

脳内手稿

詩集「フルエ」

 

時に感じては鳥にも心を驚かす〜とある。人生感じて何歩ということか。

 

(一)

   詩心というものは男女の差がある。男が女心を、女が男心を謳うことはよくある。やはり無理もあるから男は男を女は女を歌うのが自然だ。とは言え時に感じなければ詩は表れてこない。したがって、夫々のタイミングで無作為にくちづさむのがよい。

   フルエは、人間にとってどういう意味を持っているのだろうか。

 

   打ち震える(命の)叫びを表現

 

   「止まらない震えが闇夜に沈む難破船から伝って来る。身悶えする程に夜の闇に吸い寄せられ、その存在は消えていく。」

   何だか伝わり辛い表現である。カタチから入るのか、其れとも構想を十分に練って入るか、はたまた思い付きで書き流すか、いろいろあるが、用意周到でない文章というものは討死する可能性が高い。

   さて、どうすれば討ち死にしないで済むかを考えてみる。

   神秘に満ちたミステリーの幻想世界の表現でもあれば、訳のわからぬ表現もあり得ないことは無いが、解りづらく伝わり辛いのはダメだ。

 

ウチブルエ

 

其の震えがなんで起こっているのか

具体的に知っている

其の人間の言動が意外性のある突発的なものであることを知っているからだ

 

予測できない言葉と手痛いもの

安堵の無い追い討ち

立ち位置の無い肩身

期限の無い果て知れぬ辛酸

其の日も威圧の嵐が吹き晒していた

 

保ちきれぬ堪忍の日々

其れでも耐え抜いたあの日

そして

解き放たれるとき

 

   「伝える」

 

何を伝えたいのか、その情景や風景がどんな状況なのか分かり易く表現する。細々と説明すればいいと言うもんでもない。主語と動詞は最低限必要だ。後は付属品、装飾品、周辺機器をどう使うかだけである。

   こんな事を書くと専門家に怒られそうだが「伝え方」の問題だ。いくら高邁な文章でも相手に伝わらなければ意味がない。自己満足ならまだしも相手のある表現には其れは不可欠なものである。したがって、此処からの書き方は、伝えたいことを喋り言葉で書いていくように努力する。(2016.5.17)

 

   雨上がりのしっとり潤った石組みの道を歩いてる。空気も湿気を帯びて冷んやりとしている。二階のエレベーターで七階まで登って家に入る。韓国戦の国歌斉唱が流れていた。

 

   このまま死を迎えていいわけが無いと思いながらも何も出来ずに一日一日が音もなく過ぎていく。普通の人生かも知れないが、座して地団駄を踏んでいるのではガキのすることに何の差も無い。(2016.5.17夜)

糸口が必要だ。突破口が必要だ。其れは何だ。

   より具体的な目標であり、やるべき行動である。残された時間はそう長く無いし、失敗も何度もできる状態では無い。損得勘定でやるしか無い。

意義を感じ無いまま仕事をしている人間、その人は「毎日が試練」という。ヒントを出して考えさせる。MBAなどは取得しているが孤独な戦いが始まった。(ベンチャーの副社長)

   ⑴数字を変えにいく。⑵商売が面白くなってきた。⑶プラスになることへのモチベーションを教える。⑷管理では無く教育で成長させていく。教育と管理、経営の課題、人材の数、求める質の人材、不足しているという。若手を武者修業に出し使えれば後継者にしょうとしている。

   風は吹いていない、音も出ていない、何も変わっていない。

   再生の習慣、成功者の習慣、報連相に習慣、リスクを引き継ぐ習慣ができている。

まさかのクレーム、リスクを見抜けなかった。嘘のワークがあった。不純物を混入させまじという強い意思が無かった。信じすぎがリスクとなった。

 

   やや背後からの風は強い、やや冷やかで寧ろ心地よい。バス内部は空いている。キンコンの音と行先を告げる声、日常化したもの、それらは皆安堵感の一種だ。

 

(二)

   此処では心に突然に去来する時に限り書き込むことにする。

 

「文章作法」

   伝わらなければ意味はない。ざっくばらんに、ストレートに、脳裏の片隅まで抉って、思いのままに、ことは足りるし、それで終わりだ。

   仕事となると許さない。テニオハ、言い回し、主語が無い、形容詞がおかしい。格調高く意味不明、劣悪なれど伝わり過ぎる。 そして、風の匂いを飾る言葉。

   説明なき暗示のための表現、余計な言葉をトコトン省いた状態を余すところなく言い当てるために切り取った言葉とそれを終結するための言葉。言葉と状態表現の匠の技。

   「受けとめ方によっては〜」と主体から客体に視点を移動して、その情況を端的に言い当てる。

   言葉の使い方に於ける的確性。文脈に気品や格調を与える表現の妙というものがある。脳裏の片隅に置いておくと便利だ。訓練でそうなる部分もあるだろうがセンスというものかも知れない。

 

「アカチャン」

いきんで泣いている

途切れ途切れに訴えるように泣いている

ちょっとずつ異なり

別の言葉ように変化する

赤ちゃんの泣き声が何かを言っている

長く短く

小刻みに

泣いている

意味を伝えない泣き声

呻きの泣き声

言葉にならない言葉が

 

夕刻の車内の静寂を打ち破り

絞り出すような音が

しばし心の臓に突き刺さる

 

空虚な空間のなかに痛みを感じ

哀愁を感じさせる泣き声

 

ただ我慢する以外に術はなく

それが昔からの暗黙の了解

そしていつしか泣きやんで

 

こうして喘ぎ叫んで生きた日の

遠い昔の記憶が蘇る

             (2016.7.6.新幹線車中にて)

 

一つのテーマがあって要素が幾つも有る場合は色んな思いとともに吹き出てくるままに書いていけばいい。

 

もう既に三十星霜、何を求め、何に生きたのか

仲間に出会いそして呑み、話足らずは山ほどなれど月日の経つ早さに忘れて空白ばかりが悔やまれる

 

「在りし日の想い」

 

酔いしれて、又酔いしれて暴言さえも

心地よき彼方に消えし言霊を

偲び忍ばれ流離(さすらい)の

この世の夢か幻か

将又(はたまた)無言の内の諦めか

今や懐かしの郷愁となる

行き会って

この世の話ししておけば

そう思うけれども人間の

有り様なれども仕方なく

久遠の別れ

寿命と諦めん

(柿本人麻呂に似し名の友の独り旅、尊顔拝して無念を想う)2016.9.7

 

芭蕉の辞世の句に想いを馳せる」

 

「旅に病んで夢は枯れ野をかけめぐる」とは、

芭蕉である

実に凄い俳句である

 

何故に、枯れ野なのだろうか

何故、夢なのであろうか

旅に疲れてしまったのだろうか

人生というものに疲れ果ててしまったのだろうか

 

突然なのか、偶然なのか

予期していない時なのか

予兆とかがあったのか

それとも何も無かったのか

時を、そして自然を見抜く眼力に

それらが見えぬ筈も無い

 

辞世の句であるならば

何もかもが見えていたのであろう

夢さえも枯れ野になってしまっている

なんてこった、などとは言わないまでもそんな想いが駆け巡っていたのだろうか

 

そこに永遠は無い

そこに青々とした草木は見えない

そこには凩の吹く風景が見える

かさかさと薄の靡く風景ではなくビュービューと音を立てて

時折つむじ風が舞う

そんな情景が見える

 

森羅万象の営みを

終えようとしている人間の

脳裏に去来するものが、どんなものなのか

其れが本能なのか

それが理性というものなのか

最後の生き様をどう表したかったのか

興味深い

 

夢なのか現なのか

夢幻なのか既に幻想の中に居て

朦朧として意識が遠退いていく

そうした中に感じる枯れ野と夢との

関係が死への暗示と

もう引き戻すことの出来ない視界として現れ出ている様に

もうどうする事も出来ないだろうと

自らに印籠を渡す

 

輪廻は転生して

まさしく駆け巡るごとくに現じ続け

程無くして滅ぶ

                 (二〇一六、十一月七日)

 

いのちが揺らぐ

気も目も体も揺らいでいる

観じるこころ

感じるこころ

強さも弱さも揺らぐいのち

(2016.11.18)